([本]のメルマガ vol.261より)

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■「図書館の壁の穴」/田圃

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第10回 ニーズはつくるもの

最近よく思うのだが、図書館というのは利用の多寡よりも、そこに行けばい
つでも資料を手にとって読めるという安心感のようなものが、当たり前のよ
うだが案外重要なものだ。

一般的に市町村立図書館の蔵書は、アカデミックなニーズに応えるには物足
りないし、娯楽のためというには教養的な色合いが強すぎる。何だかどっち
つかずの中途半端なもののように見える場合も少なくない。

本がすぐに絶版になる昨今、本や雑誌を永く保存するアーカイブとしての機
能は、大げさと思われるかもしれないが、文化の保存装置として、社会が当
然のように持っていなければならないものだと思っている。
そんなことをこの連載でも以前に書いたことがあるが、この一見地味な事柄
が、それぞれの地域レベルで住民に理解されるかどうかが、最終的に市町村
立図書館の生命線になるんじゃないかと思う。

ストックとして持っておきたい本は購入し、主に一時的に読んでおしまいの
情報を図書館に求めるという人が多い。
でも、目先の利用が多いからといって、雑学的なものばかりや、すぐに消費
されるようなベストセラーの複本などを大量に購入するような運営をしてい
ては、今の利用者には歓迎されても、将来的に興味に応じて深く粘り強く調
べられるような資料を、たくさん揃えるような蔵書の構築はできないだろう
と思う。
(予算が潤沢な図書館は問題ないんでしょうけど・・・)

アーカイブなどという、コストに見合った効果があるかどうかわかりにくい
ことを、予算のない市町村がわざわざやることはない、国立国会図書館があ
れば十分だという考え方もあるかもしれない。

でも、誰もが気軽に国立国会図書館に出かけられる訳ではないのだ。
そうした情報要求にある程度は応えられるようなインフラを、地域社会が持
たなくてどうするんだ?というのが、市町村立図書館の存在理由としては一
番大きいんじゃないかと僕は思っている。

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 今や、欲しい情報がインターネットを通して自宅で簡単に手に入るのだか
ら、わざわざ図書館に出かけるメリットを感じない人もいるだろう。
 また最近では、メールでレファレンスサービスを行うなど、インターネッ
トを利用した非来館者向けのサービスを強化する図書館も増えている。

 究極的には、利用者自身が情報源に辿り着ければ良いのだから、別にイン
ターネットや他の図書館と客の取り合いで競う必要はない。
各図書館がそれぞれ、そうした外部の情報源を上手く使ったサービスを考え
ればいいだけのことだし、こうした状況は使える道具が増えるという意味で
歓迎したい。
ただ、自宅にいながら、それだけ多様な情報に触れられる中、わざわざ図書
館に足を運ぶだけの意味というのを、図書館員は考えないとマズい。
少ない予算で充実した図書館サービスを構築するにはどうすればよいのか?

 それには、利用を増やすためだけに、目先のニーズに迎合するのではなく
、図書館の機能を多くの人に知ってもらい、市町村立図書館のサービスに対
する新たなニーズも発掘できるよう、工夫する必要があるのだろう。

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司書というのは、情報と人とを結びつけるのが仕事だから、実際には参考資
料や専門機関のことなど、調べものの手助けになるような情報をたくさん持
っている。

でも、図書館利用者から見ると、自分の調べものを専門知識を駆使して助け
てくれたり、探し方を教えてくれるような存在にはとても見えない場合が多
いような気がする。

例えば、道路工事の設計について法律や構造といった専門情報を探している
人や、最新のネットワーク技術を企業で導入しようという人は、資料を探し
ている本人がその道のプロなのだから、司書が自分以上の情報を持っている
とは考えないだろう。
もちろん司書は道路のプロ以上に道路に詳しいわけではないが、あるテーマ
について効率的に調べる方法は熟知しているし、専門機関を紹介することも
できる。
こうした司書の機能が上手く伝わっていないのは、それだけの能力を持った
司書ばかりではないという現実と同時に、そもそも図書館側のサービスに取
り組む姿勢に大いに問題があるという気がする。
実際に、利用者層を見ながら特定分野の専門誌や専門書を多めに出して、目
に付くところに並べてみると、その分野のレファレンスが急激に増えたこと
が過去に何度もあった。

経験上、レファレンスサービス普及のために、ポスターを貼ったりビラを撒
いても大した効果は期待できないことはわかっている。
それは恐らく、レファレンスというパーソナルなサービスを、マスに対して
行うような訴え方で普及させようという発想自体に、そもそも無理があると
いうことだろう。

そもそも、そうしたアプローチ以前に、まずは図書館は何ができるところだ
という大枠から知ってもらえるよう、働きかける必要がある。
利用案内のリーフレットやホームページ、図書館活用のためのガイダンスな
どは、能動的に情報を得たいと思う人が触れるものだ。
それを紋切り型の説明で機械的に処理してしまうのではなく、蔵書の特性や
司書の機能を積極的に活用したいと思わせるためのプレゼンテーションの場
と捉え、有効に使った方がいい。
利用登録や本のリクエストの記入用紙ひとつとっても、事務的で何のメッセ
ージ性もないものよりは、何か工夫のしようがあるだろうし、利用アンケー
トを頻繁に実施するのも、運営上のメリットになるだけではなく、利用者の
意見を汲もうという姿勢を示せるという意味でも効果的かもしれない。
そうした図書館機能の理解を求めるアプローチと並行して、レファレンスサ
ービスの広報活動を行うならば、相乗効果も期待できるだろう。

単に「調べもののお手伝いをします」ではなく、定食屋のお品書きみたいに
国会図書館の本を探して取り寄せられます」「雑誌記事のコピーを取り寄
せられます」などと具体的なサービス内容を書いて、壁に掛けておくだけで
も、かなり効果的なんじゃないかと思う。

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図書館はアーカイブとして資料を蓄積し保管していく。
所蔵された資料は書庫に置かれているだけならば、何十年経とうとほとんど
何の変化もないのだが、そういった資料を、時代に応じたアウトプットの仕
方で提示していくこともまた司書の役割として大きい。

例えば、百年前の本を電子化したり複製をつくったりして自由に利用できる
状態にしたとする。
その時に、利用できるようにする資料の選定やオリジナル資料の保存への配
慮、利用提供する際の利便性などの一切をコントロールするのも司書の仕事
だ。
保存と見せ方のバランスを考えるという博物館学芸員的な視点で、資料その
ものや、そこに書かれた情報を扱う仕事をしている以上、司書はもともと資
料や情報源に詳しいものだし、そうした知識のアウトプットの一形態がレフ
ァレンスサービスの一面ではないかとも思う。

そんな観点から司書という職業が社会で認知されるには、市町村立図書館の
イメージを変え、新たな支持を得ていくことが必要だろう。
簡単なことではないが、経済性や効率という面からばかり図書館が語られる
最近の情勢を見ていると、あまり猶予はないだろうという危機感は感じてい
る。

田圃