([本]のメルマガ vol.285より)

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■「図書館の壁の穴」/田圃

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第14回 本を買うこと、もらうこと

 利用者の資料要求に応えられない時ほど、司書としてくやしいことはない
。「ありません」でおしまいではなく、求められた資料は本や雑誌に書かれ
たことなら尚更、とにかく草の根を分けてでも探し出したいし、取り寄せる
なり、所蔵機関を紹介するなり、調べものの何か手がかりだけでも提供した
い。

 そんな、利用者のためにできる限りは何でもしようという資料提供のスタ
ンスと、資料を購入する場合の考え方とはまた別だ。リクエストされた本も
、当然ながら購入しないことがある。

 リクエストされた本の内容が、公共図書館の資料としてふさわしくない場
合は、どの図書館でも受入基準などの規定によりお断りしている。
 稀に、ひとりで何十万円とか何百万円分のリクエストを出す人も現れるが
、それじゃあまりにも利用者間の平等性を欠くし、蔵書構成も偏ってしまう
から、1人のリクエストは年間いくらまでとか、何冊までという規制を設け
て対応している図書館も多い。
 そういう規則がない場合でも、資料費全体に対する利用者リクエスト枠と
いうのを大体は決めていて、とにかく最終的には、司書が発注をコントロー
ルしている。

 地域の利用者が読みたい本なのだから、基準に反しない限り何でも買えば
いいじゃないかという考え方もある。
 事実、幾つかの公共図書館では、利用者と図書館員が一緒に大型書店に行
って、その場で本を買うという「選書ツアー」をやっている。
 でも、そうしたことも図書館資料費を全部投入するような話ではない。

 リクエストにある程度応じながらも、図書館が主体的に選書するという考
え方が、公共図書館の主流だが、選書する楽しみを司書が独占するために、
そうしているというわけではない。

 公共図書館は、住民共同出資の無料貸本屋だと完全に割り切るならば話は
別だが、やはり図書館には図書館らしい蔵書構成というのがある。
 各館ごとに差異はあっても、その図書館の指向する蔵書構成を意図した資
料収集は必要だ。
 例えば、漫画や週刊誌ばかりが並んだ書店で、わざわざ専門的な学術書
探す人はあまりいないだろう。
 それと同じことが、図書館の棚についてもいえる。

 既にある蔵書が、次のニーズを決めるということを、常に意識して能動的
に選書していかないと、図書館の目的を果たすことができなくなってしまう

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 今年度、小野田セメント創業の地、山口県山陽小野田市では、市立図書館
の図書購入費が9割も削減されたという。

 中央館が940万円減の78万円、分館が360万円減の43万円。
 これだけ予算が減ってしまったら、例えば法改正があったとしても、新し
い法律の本は買えないケースが出てくるだろうし、白書や年鑑なんかも、今
まで通りには揃えられないだろう。
 
 昨年、福島県矢祭町から、全国からの寄贈図書で図書館をつくるという話
が出たが、このとき、形だけ追従して予算を抑える自治体が出ることを懸念
した図書館関係者も少なくなかった。

 矢祭町は、「合併しない宣言」で、財政難に立ち向かう覚悟を表明した自
治体だ。
 町民アンケートで、2割近くの人が図書館の充実を望んでいることがわか
ったが、今まで財政難でそれが実現できなかった。
 そこで、町民主体の「まちづくり委員会」が全国に向けて「しまい込まれ
ている本はもったいないから引き取ります」と宣言し、約30万冊の寄贈図書
を集めてつくったのが「矢祭もったいない図書館」だ。
 「既にある蔵書が、次のニーズを決める」などという選書の考え方の遥か
以前の問題を、町の人々が手作りで乗り越えて開館したというのが、この「
もったいない図書館」の一番のポイントだろう。

 こういう話と、市内に4つの図書館を持っていて、隣町との合併で国から
補助金を貰っている山陽小野田市とでは、まったく事情が異なる。

 山陽小野田市の市長によると「図書館で本は命だが、新刊に限ったもので
はない。市民の協力を得て充実していくのも一つの方策。手法はいろいろあ
り、知恵が試されている」ということだ。
 だが今のところ、どんな手法でどんな結果が期待できるのかが具体的に見
えてこない。これだけでは、財政難の結果を市民と図書館に押しつけたと言
われても仕方ないように思う。

 僕から見ると、図書予算9割削減というのは、「図書館事業から完全に撤
退したわけじゃないんですよ」という言い訳のための、アリバイ的な予算措
置に思えてならないのだが、果たしてどうだろう?

 今後どんな手法で、どんな図書館運営をしていくのかを、じっくり見守り
たいと思う。
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 都道府県立図書館が蔵書を廃棄する場合、傘下の市町村立図書館に不要本
リストを送り、必要な館に提供することがある。
 大学図書館では、私立大学図書館協会などが、機関紙に各館の不要雑誌リ
ストを掲載するなど仲介機能を果たしていて、それが県立と市町村立のよう
な縦の関係ではない分、情報量も遥かに多く、有効だったように思う。

 もともと市町村立図書館の建築は、資料保存をあまり考慮していない場合
が多いという背景もあるが、図書館の棚は鮮度が命だといって、毎年資料の
大量廃棄を繰り返す館は数多い。
 書庫スペースが足りないからといって、学部学科と関係の薄い蔵書はどん
どん破棄するという大学図書館もある。
 そうした一方で、大幅な予算減であまり本が買えない図書館もある。

 都道府県が取り仕切るピラミッド型の連携ではなく、地域や館種を問わず
各館が直接的に連携できる土俵があると、大いに助かるという館も少なくな
いだろうと思う。
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 図書館は、本を買うばかりではなく寄贈を受けることも多い。そしてその
多くは、家庭で不要になった本が大半だ。
 例えば、古い百科事典、昔のビジネス書や学習参考書、全集や雑誌の端本
など、正直なところ扱いに困ってしまうものも少なくない。

 本当は、将来(50年100年というスパンで考えると)その資料の価値を見出
す人がいるかもしれないのだから、資料価値を判断せずに、何でも受け入れ
て保存しておくのが理想だとは思う。
 でも、一般的な市町村立図書館には、残念ながら寄贈されたものを全部保
管しておけるスペースもなければ、それを整理する人員もいない。
 結果的に、郷土関係の資料でなければ、セットものの古い端本や実用書の
類は、受け入れられない場合が多い。

 どの図書館も、すぐ管理対象ではなくなる不要本リストの作成などに、手
間をかけたくはないものだ。
 でも、古い「現代用語の基礎知識」を引き取りたいという図書館だって、
実際にたくさんあるというのに、一方で数年前のものを寄贈されても、既に
所蔵しているからといって捨ててしまう図書館もある。

 そこで、全国の図書館から溢れた蔵書を全部引き取って、それを利用提供
する館となれば、自前の資料費ナシでも十分に価値のあるものになる可能性
はあるんじゃないかと思う。

 こうした考え方でつくった図書館でも、他の自治体から図書館資料を取り
寄せられるならば、地域の住民が新しい資料を見る機会も確保できるだろう

 資料費が減って、その予算なりに本を買うだけでは、サービスの縮小と同
じことだ。そのまま運営規模を縮小していけば、魅力は薄れるだろうし、惰
性で開館しているような状況に陥るかもしれない。

 どこかで前例があれば、それに倣うというのが自治体行政の特徴だから、
この次はどこの図書館の予算がなくなっても不思議ではないだろう。

 だから、図書館運営に関わる人は、常にそれに備える案を練っておかない
といけないし、普段から少しでも図書館の抱える問題を身近に感じてもらえ
るような利用者を、増やしていくことも必要じゃないかと思う。

田圃
 某市立図書館の副館長。