([本]のメルマガ vol.321より)

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■「図書館の壁の穴」/ 田圃

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第20回 図書館サービスと数字の危うい関係

 ここ数年、新しく図書館をつくる自治体が増えているが、開館からわずか
数年で、本を買う予算が大幅に減ってしまう館が目立つ。

 例えば僕のいる図書館は、総工費50億円・初年度の図書購入費2600万円で
4年前にオープンしたばかり。開館前は毎年3500万〜4000万円程度の図書購
入費を用意すると聞いていたが、今年度の予算は1800万円と、当初の計画の
半分程度にまで落ちている。
 同じく4年前、島根県斐川町に総工費16億円でICタグを採用した町立図書
館ができたが、そちらの図書購入費は当初1000万だったのが、今年は300万
円にまで落ち込んだと新聞に掲載されていた。
 この斐川町では、昨年末から市民に寄付を呼びかけているが、今のところ
1円も集まっていないという。
 それでいて、今までの貸出冊数は県内トップクラスだったというのだから、
町民が何を求めていたのかは想像がつく。

 民意に反することをやっていたら選挙に勝てないのだから、大金を投じて
図書館を建てる一方で、本を買う予算を惜しむのも、結局は民意ということ
になるのだろう。
 例えば、調査支援やアーカイブといった図書館固有の機能を省みず、本の
貸出返却作業に専門性はないとして、司書職を廃止した東京の図書館政策を、
僕はおかしいと思っているが、そういう都政が支持されているところをみる
と、僕のように考える都民は多くはないということなのだろう。

              *  *  *

 一部業務委託と称して、館長と庶務担当以外を全部外注している、ある市
立図書館の事例を最近耳にした。それを聞いて、公共図書館のサービスがど
んどん変質していくような印象を受けたので、幾つか事例を挙げてみる。

 ?図書館員のセレクトで、要求の有無に関わらず定期的に市内の
小学校にまとまった数の本を送る、あるいは老人ホームに古い
映画のDVDを送るといったことで、貸出冊数を伸ばしている。

?未熟なスタッフがレファレンスを受けた場合でも、その場は見
  過ごしておき、後日その質問者が来館した際に、熟練者が追跡
  調査した結果を改めて報告している。

 ?フロアを巡回しながら利用者に積極的に声をかけて歩くように
している。

 ?に関しては、会社と役所の双方から貸出冊数という成果を求められた結
果、こんな方法を考え出したそうだ。確かにこれが未知の本と出会う契機に
なる人もいるし、ありがたく思う人もいるだろう。
 ただ、「業務を請け負う側としては、あれこれと理屈を考える以前に、数
字を出し続けないと先がない」という説明があったが、それが仕事を考える
基点になっているのは気になる。そこでバランス感覚を発揮するのがプロの
委託業者ということなのかもしれないが、そんな訓練を積んだ人を揃えられ
るほど、役所から委託料は出ないのだから、長い目で見ると、恐らくは数字
を追う方に偏ってしまうだろう。

 ?については、貴重な時間を工面して調べものに訪れた利用者の立場を考
えるとNGだ。?と同じで、これも利用者ではなく組織を見て仕事をしてい
るのだと思う。
 雇用条件が悪いから、いくら人を育ててもすぐに流出してしまう。それに
備えた企業なりのリスクマネジメントとして、サービスの均質化を目指して
いるということなのだろうか。
 より良いサービスを提供できるのに、それを見過ごすようでは、僕は司書
とはいえないと思うし、未熟なレファレンサーに当たってしまった利用者が、
レファレンスサービスなど役に立たないと思い込んでしまう場合も出てくる
だろう。
 教師や医師が同じようなやり方で良いとは、誰も思わない。そう考えると、
司書の仕事を理解していないからこそ、そういうやり方で良いと思うのでは
ないだろうか。

 ?については、声をかけたことがきっかけになって、積極的にカウンター
に質問に来る人も増えたので、これは良いことだという説明があった。
 確かにそれに好印象を受ける利用者もいるのだろうが、広報を通り越して
利用者個人に対する営業にまで踏み込んでしまうと、本を借りたり質問する
人が良い利用者ということになりかねない。次第にそうではない人にとって、
微妙に居心地が悪くなってしまう恐れもあるのではないかと思う
 収入・学歴・社会的地位などとは無関係に、安心して一個人として滞在し、
知的好奇心を自由に満たせる場が公共図書館だと思うのだが、そこでデパー
トの洋服売り場の「いらっしゃいませ」「一緒に靴下もいかがですか?」と
いうような応対をされてしまうと、押し付けがましいと感じる人も多いので
はないかと僕は思う。

 確かにこの図書館のスタッフ達が、与えられた条件の中で工夫して積極的
に行動し、会社や役所の求める結果を出していることは評価できる。
 だが、目先の数字を追求していくと、これと似たような図書館ばかりにな
ってしまい、あらゆる資料を等価に扱い、利用者とそれらを結びつけるとい
う図書館本来の機能が、どんどん歪んでいくような危険を感じる。

 蔵書構成や資料保存を常に意識し、利用者本位のサービスを念頭に置いた、
意欲溢れる図書館員がいたとしても、自治体や会社の要求、自らの雇用条件
などに縛られて、目先の数字に重きを置いた運営に陥ってしまう。
 こうしたことだけを取り上げて委託を否定してしまうのは早計だが、数
を伸ばそうという発想に偏りすぎた結果、徐々に図書館とは違った何物かに
変質しているような印象は拭えない。
 例えば、本を借りずに買う人が増えることや、カウンターに質問せずに、
自分で調べられる人が増えることは、マイナスなのだろうか?
 そういうことを自治体や市民が考えるようにならないと、この流れは止ま
らないのかもしれない。
              *  *  *

 ここからは前回少し触れた、図書館の蔵書データを丸ごとダウンロードで
きるようにしたいという件について。

 図書館の棚を眺めながら本を探す楽しみというのもあるが、ある特定の本
を探しているという場合には、棚をブラウズしても、想像と違った分類にな
っていると見つけるのは大変だし、OPACを使っても検索キーワードがちょっ
と違っているだけで探せなかったりする。
 費用が出せるならば、システムの改善である程度は対処できると思うが、
それができないので、いっそ蔵書データを全部オープンにして、探す側に処
理を任せてはどうかというのが、そもそもの考え方だ。

 そこで、これを実現するために、まず2通りの方法を考えてみた。
 ひとつは、図書館内で利用者に貸し出すノートパソコンに、あらかじめデ
ータベースソフトと蔵書データを入れておき、自由に利用してもらう方法だ。
 これは、公共図書館コンピューターリテラシーを獲得したい人にとって
は、格好の教材になるだろうし、情報アクセス支援という文脈から外れない
限りは、こうしたこともこれからの公共図書館にとって必要な機能のひとつに
なるのではないかと思う。
 こうして図書館側が素材を提供し、その先でUNIXOpenOffice.orgのよう
に、データの活用法やマニュアルなどの情報を利用者同士が共有することで
このサービスが成長していければ理想的ではないかと、いまのところ漠然と
考えている。
 図書館側の業務負担は小さいし、無料で実現できるのだから、成否はとも
かく、まずはやってみるに越したことはない。
 一般に、自分が使いこなせないサービスが現れると、損をしたと考える人
もいる。だがこれはあくまで、自分で資料を探すための手段が1つ増えたと
いうことであって、コンピューターを使わなくても、カウンターで質問すれ
ば同等のサービスが受けられるならば、問題にはならないはずだ。
 それに、図書館側が利用者の情報リテラシーを危ぶみ妙に手加減してしま
うことで、誰もそのサービスを受けられないという状況の方が、逆に問題で
はないかとも思う。

 もうひとつ、データを丸ごとダウンロードしてもらったところで、自在に
それを操作できる人は多くは無いだろうということを踏まえ、利用者のリク
エストに応じて司書がデータ抽出を代行する方法も考えている。
 単にこれだけでは、通常のレファレンスサービスと変わらないのだが、こ
こでは、利用者に提供したデータを、同時にサーバーにも蓄積し公開するよ
うにしたい。
 そうすることによって、二次的な利用にも繋がるだろうし、図書館側から
のお仕着せの情報発信とは一味違ったものになる可能性もあるだろう。

              *  *  *

 このデータ提供サービスの計画は、まだ検討の余地があるし、現段階では
それほど優れたものだとは思っていない。
 それでも僕は、数多く利用してもらうことよりも、各個人が有効な利用法
を知り、必要に応じて自由に使えるようになるのが良いと思っているので、
そういう方向性で考えた一例として、ここに書いてみた。
 結果的に、利用者自身が必要な情報を探せるようになれば、レファレンス
の件数が減るかもしれないが、それはむしろ望ましいことだと思う。
 簡単なことは自分で調べて、レファレンスサービスには高度な回答を期待
するという人が増えていけば、こちらもその分、複雑な調査にはじっくり時
間をかけて取り組めるようになる。

 数字に縛られず、こんな考え方が採れるのは、僕自身が市の図書館政策を
考え、コントロールできる立場にあるからであって、いま僕が市役所に籍を
置いている理由は、この点に尽きる。
 多くの図書館が数字を求められる中で、こうした理念や理想を前面に押し
出した路線がいつまで許されるのかは役所次第だし、地域住民の考え方次第
だろう。

 そうした今の僕自身の立場とは別に、全国的な図書資料購入予算の下落が
これ以上進行する前に、何か外から仕掛けた方が、よりダイナミックなこと
が出来るんじゃないかと、最近ときどき気になっている。
 数字を出さないと契約を切られてしまうという次元で常に図書館を考えて
いると、徐々に委託業者も含め自分達の首が絞まってしまうように思う。
 要求された数字を達成することは、事業を続けるための手段であって、図
書館サービスの目標はそこではない。
 現状、多くの自治体が委託費用と貸出などの数字でわかる評価ばかりを意
識している隙に、利用者と情報源とを結びつけることを軸に、新しい価値を
築き上げる余地はまだあるように思う。

田圃
 某市立図書館の副館長。